うつくしい川ありがとう

更新された看板

今回更新された、親水広場の看板です。左側は北南建が設置してくれた「不法投棄禁止」看板です。年月が経ち、破損したり色褪せたりしていたため、ゴミ回収のついでに交換してもらえました。強い文言なので、それなりの抑止効果があったと思います。そして右側は当会が設置した掲示です。更新前は、左の看板を補う「ポイ捨ても犯罪(軽犯罪法違反)で、罰則があります」というような内容でした。つまり、こちらもゴミを捨てる人に向けた掲示だったわけです。

しかし考えてみれば、ゴミを捨てる人よりも、ゴミを捨てない人、飲んだり食べたりしてもその容器を捨てずに持ち帰る人、さらには他の人が捨てたゴミを拾ってくれる人などのほうがはるかに多いのです。そのお陰で、神田川の環境が保たれています。というわけで、新たな掲示はそれらの人に感謝する内容にしました。今はまだゴミを捨てている人にも、ゴミが捨てられていない神田川、ゴミが置き去りにされていない広場にしたいと努力している人たちの気持ちが通じてほしいと願っています。

左岸親水広場

今日、左岸親水広場に着いた時に撮った写真です。これまでは、空き缶やペットボトル、食べ物のパッケージなどが置き去りにされているのが常だったのですが、最近はほとんど見られなくなっています。頻繁にゴミを拾ってくれる人が現れたからです。きれいな広場ありがとう!

ゴミ拾いの効果

タシギ

2月1日に撮影した、神田川上流部に滞在中のタシギです。タシギ(田鴫)というぐらいですから、田んぼで見かけるシギです。私は昨冬まで神田川で見たことはありませんでした。昨冬初めてやって来て、ここで越冬しました。そしてこの冬にも再び滞在しているのです。浅場に枯れた水生植物が残り、場所によっては泥が堆積している川は、冬の田んぼに近い環境と言えるのかもしれません。細長い嘴を泥に突き刺して、何かを捕って食べていました。長い間逗留しているということは、食べ物になる生き物が多いのでしょう。

タシギが来るようになったのは、我々がゴミ拾いをしているからだ、と思っています。田んぼにはあまりゴミが捨てられないので、ゴミの多い川はタシギが好きな環境ではないと思います。ゴミの少ない川になったからこそ、タシギが滞在する気になったのではないかと思うのです。タシギの気持ちは本人に聞いてみないと分かりませんが、タシギを見守っている人たちや、写真を撮っている人たちにとっては、ゴミがない川のほうが、自然に見えるので、良いのは間違いありません。

ゴミ拾いをするときに我々が最も気にしたのが、タシギに悪影響を及ぼさないかどうかでした。タシギが一時的にその場を避けるのは仕方ないとしても、神田川にいられないほどの脅威を与えることは避けたいのです。そのため、1月21日はタシギが左岸親水広場(その日の終点)より下流にいることを確かめて、上流から親水広場までを実施し、2月4日はタシギが広場より上流にいるのを確認してから、広場から丸山橋までのゴミを拾いました。その結果、タシギは今も滞在してくれているようです。

神田川のゴミ拾い 4年目

ゴミ拾い 1月21日

2020年度の冬に始め、その後毎年の恒例になった神田川上流部のゴミ拾い活動。この冬も1月21日と2月4日の2回に分けて、のべ参加者15名で実施しました。

ここで言う神田川上流部とは、神田川における我々の活動範囲で、井の頭公園内の「夕やけ橋」から三鷹台駅の「丸山橋」の間の区間のことです。

経験者は要領が分かっていますが、年とともに参加者の入れ替わりがあり、今年が初めての人もいるので、川沿いの道路からの見守りと指示、重いゴミを引き上げて陸上を運ぶなどのサポートを行う陸上班も作りました。陸上班は通行人への説明も行います。人々から「ありがとう」と言ってもらえる役得もあります。

拾ったゴミの選別 2月4日

川に落ちているゴミの量は年々減ってきていると感じています。ただし、それが「ゴミ不法投棄禁止」看板を設置してもらった効果なのか、それともゴミ拾い活動を続けたことによる啓発効果なのか、あるいはコロナ禍で通行人が減ったせいなのかは、まだよく分かりません。

確信的投棄ゴミ 2月4日

確信犯によると思われる粗大ゴミが相変わらず捨てられているのも事実です。2月4日には、写真のように、マウンテンバイクの車輪、小型テレビ、マッサージ機、キーボード、テーブルの脚などを拾いました。川と川の生き物を守るために活動している我々には信じ難いことで、とても残念です。

二日間で拾ったゴミ

拾ったゴミは、いつものように、左岸親水広場の片隅に貯留しておき、全範囲を終わった時点で河川管理者の北南建(東京都北多摩南部建設事務所)に連絡し、回収と処分をしていただきました。

御殿山の外来植物駆除

アメリカセンダングサなどの除草

御殿山の植栽エリアに繁茂した侵略的外来植物の除草を実施しました。植栽エリアとは、雑木林が林床ごと守られている、柵に囲まれた立ち入り禁止のエリアのことです。近年の大きな台風で樹木が何本も折れて伐採されたのに加えて、その後に蔓延したナラ枯れでも多くの木が失われた結果、林床に日が当たるようになり、地中で眠っていたいろいろな植物の種子が芽生えました。その中には希少な在来野草もあったのですが、セイタカアワダチソウやアメリカセンダングサなど、繁殖力の強い外来植物も混じっていました。林床の草刈りがされなくなっていた間に、それらの外来植物が開花結実して大量の種子を散布することが繰り返され、今では林床とは言い難い、外来植物の草むらになっています。我々は芽生えた希少な在来野草を草刈りから守る活動だけをしていたのですが、侵略的な外来植物をこのまま放置するとますます大変なことになりそうなので、できる範囲で駆除に取り組むことにしたのです。

外来植物駆除作業

重点対策外来種に指定されているニワウルシ(別名シンジュ)の実生木などが増えていたので、それらも抜き取ったり刈り取ったりました。近くには大きなニワウルシの木があり、そこから毎年種子が風で散布されます。最近発芽率が高まっている気がするのは、気候温暖化のせいかもしれません。

計7人で作業したので、思った以上に捗りました。とはいえ、今日駆除できたのは広い御殿山のほんの一角だけです。御殿山の維持管理は基本的には管理課の仕事なのですが、貴重な在来植物を温存しながら大量の外来植物を除去するのは、とても手前のかかる仕事なので、理想的にはできていません。職員による機械力を用いた作業と、ボランティアによる丁寧な手作業をうまく組み合わせられれば、良い結果が出ると思います。そして大事なのは、外来植物の駆除は着手が早ければ早いほど良いということです。ここにはすでに大量の埋土種子が眠っているでしょうから、駆除には何年もかかります。あと2、3年着手が早かったら、と思わずにはいられません。

(Toshi)

池の水の収支

今日の弁天池は、数日前と比べて、水がかなり緑色になっていました。

アオコが浮き出した弁天池(8月9日午前)

アオコを作るプランクトン、藍藻の仲間が増えているのでしょう。写真下部の水面にはすでにアオコが浮かび始めているようです。(なお、画面中央下部から右側にかけての茶色いモヤモヤはレンズの汚れです。)

水門橋の堰(8月8日)

先日コカナダモ効果で水質が保たれていると書いたばかりなのにこんなことになったのは、猛暑で水温が上昇したため藍藻の増殖速度が増したのと、池の水が十分入れ替わっていないからです。池の末端、水門橋の堰からは、写真のように僅かの水しか流れ出ていませんでした。

藍藻類がどんどん増殖する条件であっても、それを綺麗な水で池から押し流してしまえば、水は濁りません。井の頭池に供給される水としては、ポンプで汲み上げて供給している地下水、池面に降る雨と岸から流れ込む雨水、そして自然湧水があります。一方、池から出ていく水は、水面からの蒸散、池底からの漏水(地中への浸透)、そして堰から流出する余剰分です。

堰の水量 = ポンプによる地下水量 + 雨水の量 + 自然湧水量 − 蒸散量 − 漏水量

現時点の堰の水量が少ない理由は、ポンプによる地下水供給量がなぜか減らされているからです。

昔は1日1万トンとも3万トンとも言われた豊富な湧水が井の頭池に湧き出ていたので、池は澄み切っていました。しかし高度成長期に湧水が途絶えてからは、地下水を電動ポンプで汲み上げて供給しないと池の水位を保てなくなりました。自然のしくみを壊してしまうと、それを人間が代わりに行う必要が生じ、大きなコストがかかります。現在なぜ供給水量をギリギリに絞っているのか知りませんが、節電が要請されているためかもしれません。

池の水位が保たれても、池の水が濁りすぎる場合は、薄めるために給水量を増やす必要が生じるので、消費電力が上がります。今年は大量のコカナダモが水中の養分を吸収して藍藻類の発生を抑えてくれていたのですが、そろそろ限界なのかもしれません。

Toshi

コカナダモ回収テスト(2/2)

今日は七井橋と弁天橋でやってみました。

カイツブリのヒナとコカナダモの切れ藻

写真は七井橋のボート池側にいたカイツブリのヒナで、浮いている水草はコカナダモの切れ藻です。親鳥は頻繁に潜水を繰り返して獲物を捕まえ、ヒナに運んでいました。水中に茂っているコカナダモにも、水面の切れ藻にも、小魚やエビなどが多数暮らしています。

引き寄せられる切れ藻(浮き藻)

水面に浮かんでいるコカナダモが切れ藻なのかどうかを確かめたくて、ロープ付きのフックを沈めて引っ張ってみました。すると、写真で手前の大きな塊が丸ごと引き寄せられてくるのでした。現在水面に出ているものの多くは切れ藻なのかもしれません。

切れ藻を引き寄せて回収@弁天橋

それらはもうほとんど成長せず、腐っていく可能性が高いので、水質を良くする働きは弱そうです。早めに池から回収するのが良さそうです。

写真は弁天橋際の切れ藻を回収しているところです。その下の水中には、池底から生えている水草(おそらくコカナダモ)が見えました。

橋際の切れ藻を回収(左側)した弁天橋

テスト終了後の弁天橋です。写真左側(上流側)のほうが浮き藻が少ないのが分かると思います。もっとも、しばらく前にかいぼり隊などがコカナダモの駆除活動をそちら側で大規模に実施しているので、今日は初めから少なめだったのですが。

かいぼり隊などがコカナダモを駆除したのは、その付近に生えている希少な水草を守るためでした。そういう強い動機があったとしても、繁殖力が物凄いコカナダモを駆除し続けるのは大変で、挫けそうになるのは理解できます。かいぼり(池干し)で一気に退治したいと思う人が出てきても不思議でないかもしれません。でも、コカナダモに池の過剰な養分を吸収させ、それを回収することで池の水質を維持すると考えれば、コカナダモの回収作業にも新たな意味が出てくるし、ボランティアだけに頼らずに予算を付けて業者に委託する考え方も出てくると思います。

Toshi

コカナダモ回収テスト(1/2)

ボート池の池尻(ひょうたん橋の手前)にコカナダモの切れ藻が流れ着いていたので、ひょうたん池に流下する前に回収することにしました。

橋の手前に滞留したコカナダモ
フックで集めて引き上げる

用いたのは、ロープの先にフックをつけただけの簡単な道具です。コカナダモは切れ藻でもけっこう長く、お互いに絡まり合っているので、少し離れていてもフックで引き寄せることができました。少し離れていても、投げて届く範囲なら集められます。なお、ロープの途中に付けたペットボトルは、フックが沈む深さを調節するための「浮き」です。

回収したコカナダモの一部(片岸分)

それなりに採れるし、コンパクトなので持ち運びが楽ですが、効率的には、大量の駆除にはまったく向きません。あくまでもサンプリング用です。岸に近いものは棒状の回収道具の方が効率が良いと思います。。

とはいえ、しばらく頑張ったら、写真の倍ほどの量のコカナダモを回収できました。

作業後の写真です。水に注目してください。

コカナダモ除去後

水は緑色がかっていますが、水温が高い時期にしては透明度があります。コカナダモが成長するために水中の養分を吸収したので、植物プランクトンの発生が抑えられているのだと思います。

成長を終えて切れ藻となったものは、腐ると養分が再び池に戻ってしまうし、神田川に流れ下っても迷惑なので、その前に回収するのが良いと思います。

Toshi

やっぱりきれいだった井の頭池

8月4日の未明に降った大雨は日本各地に甚大な被害を及ぼしました。ここ井の頭池にも影響がありましたが、幸いなことにそれは災害では無く、池を美しくよみがえらせるという影響でした。

大雨後のお茶の水池(8月5日)
大雨後の弁天池(8月5日)

殆どの水面では、浮いていた藻類が消えていました。雨にたたきつけられて沈んだか、流れていったのでしょう。水生物園北側の一部や池尻など隅の方を除いて、透き通る美しい水面が現れました。やはり、池の水はきれいだったのですね。

水温が高いとプランクトンが増えやすくなりますが、池に供給される水の量が増えれば薄まります。一度の大雨ではあまり薄まりませんが、雨の日が続くと地下水の水位が上がり湧水が復活することがあります。逆に、地下水を汲み上げるポンプが故障して供給水量が減ってしまうこともあります。諸々のことが影響して池の水は様変わりをします。特定のプランクトンが優占種になり、そのプランクトンの色が池の色を決定することもあります。この夏、池がまたどのように変わっていくのか見守りたいと思います。

M.O.

今の井の頭池は汚いって本当?(3/3)

カギはコカナダモ

ツツイトモが繁るボート池(2019年6月5日)

かいぼり後の水草と池の状態の歴史を考えてみると前回の問の答えが見つかるかもしれません。

かいぼり後、在来希少種のツツイトモが池で繁茂し、一時とても美しい景色を演出してくれ、さるブログで「モネの池」と評されたのが話題になりました。けれど、この写真の水はかなり緑色をしています。ミクロキスティスが発生しているのです。

ミクロキスティス(2019年10月4日)

それでも、ツツイトモが生える前よりは水の透明度は高めでした。ツツイトモも成長するために池の栄養分を吸収するからでしょう。

でも残念ながら、この年もその後にアオコが大発生しました。水を顕微鏡でみたらミクロキスティスだらけでした。

さらに池は変化を続けます。この2,3年、コカナダモが急激に増えて、今年は池の殆どを占拠してしまいました。かいぼり後に生えた希少な在来水草が駆逐されそうで、大変困ったことです。ところがです、そのコカナダモが増えるのと反比例するかのようにアオコが減ったのです。コカナダモが、大量の池の栄養塩を吸い取って繁茂したので、池の水質が良好になったのです。浮遊藻類が沢山あるのは、コカナダモがこれだけ繁茂していても、それでもまだまだ多くの藻類が増える余地があったのでしょう。

 コカナダモが繁茂するともう一つ別の現象がみられます。それは、コカナダモの林が小魚や小エビたちの絶好の棲家になるということです。

プランクトンネットに入った生き物

先日、プランクトンネットをコカナダモの林の中に落として、そっとすくい上げたところ、中にはエビやイトトンボヤゴや稚魚やミジンコ類が入っていました。大きな敵から隠れるだけでなく、ミジンコはコカナダモに付着している原生生物や藻類を食べ、エビなどはそのミジンコを食べているのでしょう。

コカナダモはこのように藻類の発生を抑制して池がアオコで覆われるのを防いでくれています。そして、コカナダモの茂みは多くの生き物たちの揺りかごになり、更には、冬場には多くの水鳥たちがコカナダモを食べに飛来して来園者を楽しませてくれています。生き物たちは皆繋がっているのです。池の生態系のなかでコカナダモは今では重要な役割を果たしているのです。

 さて、ここで大事なことをもう一つ考えなければなりません。それは、コカナダモがとても侵略的な外来植物だということです。前述したように希少な水草を駆逐してしまうので駆除の対象です。井の頭公園の自然復活の象徴でもあるイノカシラフラスコモを、コカナダモから守らなくてはなりません。

このようにコカナダモには価値ある役割があるのと同時に害悪も大きいのです。このコカナダモの相反する問題に私たちはどう対処したらよいのでしょうか。かいぼりをすればコカナダモを除去できるのだから、かいぼりをすればよい、という意見があります。けれど、かいぼりをしてコカナダモを除去しても、湧水が全く無くなっているわけではない井の頭池ではしぶとくコカナダモは残るでしょう。前回の記事で紹介したように、かいぼりで大型の水草が無くなるとアオコの大発生が待っているでしょう。そしてかいぼりは多くの生き物たちの拠り所を、そして多くの命をも奪うことになります。かいぼりには良い点と悪い点があるのです。

コカナダモ問題の解決はとても難しいです。時間をかけて皆で知恵を出し合うしかないでしょう。

M.O.

今の井の頭池は汚いって本当?(2/3)

かいぼりをすれば池はきれいになるの?

前の記事で書いたように、現在の井の頭池は、水面には汚いものが浮いていますが、水そのものはきれいなのです。そして浮いているものの正体が複数の藻類の混合体であることも分かりました。

それではどうしてあのように藻類がたくさん発生してしまうのでしょうか? その答えを見つける為に、池の水の供給源のことをまず考えてみましょう。現在、余程の長期の大雨でも降らない限り湧水で池が満たされることはありません。 普段、池に供給されている水は地下水の汲み上げによるものが殆どです。池の周りと御殿山にある7、8か所の井戸でポンプアップしています。その地下水には実は窒素分が多く含まれています。また、降雨時に池周囲から土砂が流入してリンが供給されます。それらを栄養にして藻類や水草が育つのです。なので、藻類やコカナダモのような外来水草の大繁茂を抑えることは、そう簡単ではありません。

それじゃあ、かいぼりをすればいいのでは?と考える方もいらっしゃるでしょう。残念ながらその答えは“NO”と言わざるを得ません。いくらかいぼりをしても、池の富栄養化は変わりません。それどころか今より酷い状態になる可能性が高いです。

アオコに覆われた弁天池(2018年8月1日)

そこで、比較の為に、最後(3回目)のかいぼりが終わった2018年の夏の弁天池の写真を載せます。8月1日撮影です。

抹茶色のアオコがべったりと広がっています。この年は池全体がこのような状態でした。このアオコは主にミクロキスティスという藍藻が群体を作って水面に浮いているものです。カビ臭がするばかりか、毒性を持っています。お世辞にも綺麗とはいえませんね。

アオコが発生していない弁天池(2022年7月2日)

それに対して、今年の弁天池、7月2日撮影です。水面に浮いている藻類はありますが、アオコは全く観られません。そう、今の池(の水)は汚くないのです。

こうしてみると、かいぼり後と現在の池の綺麗さはどちらが上かよくお分かりだと思います。そして、かいぼりをすれば池の見栄えが良くなる、というものではないこともお分かりいただけたでしょう。

それでは、かいぼり直後の2018年と今年は何が違って、このような差を生み出したのでしょうか。それはまた長くなりそうなので、次回の記事で考えてみましょう。

(M.O.)